タンロン遺跡

IMG_1297ハノイの中心市街地西方面には政府直轄区域がいくつもあります。
代表的なエリアはホーチミンの遺体が眠る廟とその周辺ですが、ここタンロン遺跡(ハノイ城跡)も同様に政府が管理する区域となります。

タンロン遺跡は11~19世紀に栄えたベトナムの王朝があった場所。
中部フエの阮朝時代の前身にあたる時代となります。

タンロン遺跡はハノイ市内で唯一のユネスコ世界遺産ですが、登録されたのは2014年と比較的最近。

ハノイにおいての世界遺産旅行といえば、みなさんハロン湾をイメージするので、タンロン遺跡はまだ認知度があまりない様子です。
しかし、ハノイの市内観光で世界遺産を拝めるのですから、時間がある方もそうでない方も、見れる範囲だけでいいので立ち寄ってくみてください。

端門

IMG_1306タンロン遺跡に入場して最初に向かった先に見えるのが端門。
城壁に配された第一正門で、当時は楼閣にたくさんの衛兵がいたことでしょう。

ちなみに、このタンロン城については、まだまだ発掘段階。ガイドブックに載っているところが実際立ち入り制限がかかっていたり、また新たに見学できる区域があったりしますので、当日はパンフレットのマップを見て回り方を確かめてください。

ちなみに、この端門が現在発掘されている中で最も保存状態がよく美しい楼閣です。
裏では現在進行形で発掘している様子がうかがえ、まだまだ発見されていない部分が何層にもわたって地中深くに沈んでいると予測されています。

もしすべてを回る時間がない方も、最低この端門だけは見学しておくと、「世界遺産に行ってきた」ということができるでしょう。

後楼

IMG_1346こちらは後楼と呼ばれる高台。
当時は王に仕える比較的高官の側近が利用していたようです。

上まで階段で上がることができますので、そこから望める景色はカメラにおさめておきましょう。IMG_1357こちらが楼閣内部の様子。
こざっぱりして何もありません。外壁はきれいに塗りなおされていて、床もコンクリートなので比較的最近修繕されたものだと思います。

タンロン城は1010年~1804年までの間、幾度となく建て替え、修繕を繰り返していて、それはタンロン城からハノイ城に移り変わったあとも続いていました。
そう考えると、当時の面影は外観くらいかもしれませんね。

タンロン城の歴史

IMG_13291010年~1804年の長い間、北ベトナムの首都はハノイではなくタンロンと呼ばれていました。
この長い長期政権を築いたのはリー(李)朝で、最初の長期王朝でした。

その前身はレ朝という皇帝でしたが、独裁政権だったため短命に終わり、当時近衛軍司令官の地位にいたリータイトーが王となりました。
この時代は中国の支配化でもあったため、タンロン城遺跡もやはり中国的な雰囲気が漂っています。

1804年以降は、リータイトーから阮朝(グエン王朝)に政権が交代。
阮朝はご存知の通り中部フエに最後の王朝と呼ばれる阮王朝を築きました。
こちらも世界遺産になっていますね。

王朝が移されたあと、タンロンは役割がなくなってきたので、時代の流れとともに敷地は縮小していき、タンロンのあるハノイは単なる地方都市として扱われるまでになりました。

そして、阮朝はタンロン城をさらに縮小し、ハノイ城と名を改めて形だけを残しました。

近代のタンロン城(ハノイ城)

IMG_1390その後、北部ベトナムはフランスの統治下時代を迎えることになります。
いわゆる「フランス領インドシナ時代」ですね。

度重なる抗仏戦争で、ここタンロン城も傷み、その傷跡は正北門の砲撃の跡からでもみることができます。
また、1975年のベトナム戦争が終わるまで、このタンロン城(ハノイ城)は北ベトナム国防省の管轄地で、最高司令部が置かれていました。

正北門から回ってはいけない

最初にお伝えしたとおり、見学は端門からはじまり、正北門で終わりとなるのが効率的なルートとなります。
入場チケットは端門のそばで売られていて、ここで正北門の入場チケットももらえます。

もし正北門に最初に来てしまったら、チケットがないので中に入れません。
わざわざ15分ほど歩いて端門まで行き、チケットを買って再び正北門まで歩く必要があります。

タクシーで「タンロン城」までというと、端門で降ろされる場合と正北門で降ろされる場合があります。
正北門で降ろされないように注意してください。

名称:タンロン城(Di Tich Hoang Thanh Thang Long)
住所:12 Nguyen Tri Huong,9Hoang Dieu

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