文廟

IMG_1433「文廟」と呼ばれるこちらは、20世紀までベトナムで科挙が行われていた場所です。
日本では平安時代から江戸時代まで続きましたが、科挙に合格しても得られる将来的な地位はそれほど高くなかったため、日本ではそれほど重要なものとはみなされず、時代背景における影響は微々たるものでした。

ベトナムは中国の支配化に置かれ、さらに科挙が浸透したときは中国を君主として立てていた時代背景があったことから、科挙は国民に幅広く浸透していきました。

また、科挙に合格した受験者の多くは官吏になることができたので、ベトナム人にとって科挙は将来を約束された最重要の試験として位置付けられていました。

文廟の敷地内

IMG_1476文廟は北ベトナムにおける最初の大学です。
1070年からおよそ700年続いた歴史ある建物で、貴族や皇族もここで学んできました。

当時中国の支配化にあり、仏教、儒教、道教の三教を主軸思想としていたため、孔子を祀る廟としてできたのが最初ではないかともいわれています。敷地内中央には池があり、堂の上には魚と竜の彫像があります。

これは魚が川を上って竜に変化したことを表し、いわゆる「登竜門」の語源ともされています。IMG_1518こちらの碑文はだいぶ風化が続いていますが、科挙に合格した人の名前が刻まれています。
中には政治指導者として時代を築いた偉人の名前も彫られています。

科挙が廃止されたのは1919年。
中国影響下の東南アジアの国々では科挙は珍しくありませんでしたが、ベトナムの科挙は東南アジアで最後まで続きました。

IMG_1496本堂には孔子とその弟子たちが祀られています。

ベトナム人にとって、ここは日本でいう大宰府天満宮。
ハノイに住む受験生は必ずここで試験前にお参りにきて、合格祈願をします。

本堂横には売店があり、しっかりと合格祈願のお守りなどを買うことができます。

また、ここは大学生が入学および卒業したときに写真撮影する場としても使われます。
筆者が訪れたときは、ちょうど近くの大学の卒業式の日だったため、多くの学生が訪れていました。

 IMG_1434こちらは「皇帝の道」と名付けられた一本道。
入場門から敷地内部まで続いています。

当時は皇帝や官吏といった偉い権力者のみが通ることを許されていたようです。

下敷きはすべてバッチャン焼き。
当時バッチャン焼きはベトナムで最も優れた陶磁器とされていて、中国の皇帝にも多数朝貢していました。

行くべきか迷っている人へ

文廟はベトナムでは無形遺産に登録されるほど貴重な施設ですが、旅行者にとっては、その時代を知らなければなかなか楽しめるものではありません。

もし文廟へ行くのであれば、事前にどんな施設なのかを学んでおくのがおすすめ。

また、文廟の近くには軍事歴史博物館、世界遺産のタンロン遺跡などがあり、道に迷わなければ徒歩十数分で行くことができます。
文廟をオプションとして、メインはタンロン遺跡として計画するのもいいかもしれませんね。

名所:文廟(Van Mieu)
住所:66 Nguyen Thai Hoc St. Hanoi

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